2019年4月1日、今回は天皇陛下の生前退位という事で、お祭りムードの中で新元号が発表されましたね。
天皇陛下がご存命という事で次の時代に希望をもって受け入れられる状況での改元、とても良い事と感じた1日でした。
私は昭和生まれの人間で1番楽しく過ごした時期が昭和の時代なので(過ごした期間が長いのは平成ですが)、
11:40頃に菅官房長官が掲げた文字を見て、”おっ、いいじゃん”と思わず口に出してしまいました。
”昭和”の響きになんとなく似ているのと、”和”の字が使用されている事でとても親しみを感じたところでございます。
過ごしているうちに馴染んでは来ましたが、”平成”が発表されたときは正直「なんだこれ!」という気がしたことを思い出しました。
巷では「令和」に決定された経緯とその意味等が報道されまくってますが、
そういえば「平成」「昭和」「大正」「明治」についてはどうであったか(平成はその時聞いたはずですがよく覚えていない)・・・
各元号の事も気になり調べてみました。
明治
期間は、1868年1月25日(明治元年)~1912年(明治45年)7月30日まで。
実際は1868年の10月23日に改元の詔書が出されたが、その年の1月1日(旧暦、慶応4年1月1日)まで遡り明治元年1月1日とした。
またその際一世一元の制度か制定された。
由来は「易経」の「聖人南面而聴天下、嚮明而治」で、
訳すと「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)ひて治む」という事で
意味は、「聖人が北極星のように顔を南に向けてとどまることを知れば、天下は明るい方向に向かって治まる」である。
その選定に関しては当時の福井藩主”松平春嶽””に新元号が委ねられ、いくつかの案を出し、明治天皇が宮中賢所で自ら抽選(くじ引き)したとのこと。
明治天皇
大正
期間は、1912年(大正元年)7月30日から1926年(大正15年)12月25日まで。
その由来は「易経」彖伝・臨卦の「大亨以正、天之道也」で
訳すと「大いに亨(とほ)りて以て正しきは、天の道なり」となります。
また、他の元号案として「天興」「興化」「永安」「乾徳」「昭徳」の案があり、最終的に「大正」「天興」「興化」に絞られてから、枢密顧問の審議により「大正」に決定したとの事。
大正天皇
昭和
期間はる1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日までである。
その由来は、四書五経の一つ書経堯典の「百姓昭明、協和萬邦」で、
訳すと「百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す」となり、漢学者・吉田増蔵が考案した都の事。
それには、国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味が込められている。
元号案として、当時の宮内省から「神化」「元化」「昭和」「神和」「同和」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」
内閣からは「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」があげられていたとの事。
昭和天皇
平成
期間は1989年(平成元年)1月8日から2019年(平成31年)4月30日まで。
その出典は「史記」五帝本紀 帝舜の「內平外成」(内平かに外成る)と
「書経(偽古文尚書)」大禹謨の「地平天成」(地平かに天成る)からであり、
「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味がある。
選定にあたっては、天皇崩御を前提とした手続きを事前には行えないため、昭和天皇の崩御当日に正式な手続きに入りあわただしく新元号が決められたとの事。
ただ、昭和天皇陛下のご病状から、水面下では準備が進められていて、1988年9月には「平成」「修文」「正化」の3案まで絞り込まれていたとの話もある。
平成天皇
令和
2019年5月1日~
出典はメディアで連日報道されている通り、「万葉集」の巻五、梅花の歌三十二首の序文で、
時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。
で発表後の安部首相は会見で
「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味を込めた事を説明。
その他の候補としては「英弘」「久化」「広至」「万和」「万保」があったと伝えられている。
今上天応
今回の改元は200年ぶりに天皇陛下の生前譲位という事で、重苦しい状況ではなく新しい天皇の誕生を祝って迎えることが出来るというのはとても良いですね。
時代が移っても平和な世界になるように祈っております。
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